開湯は古く奈良時代末(西暦783年)、諏訪神社の神官の霊夢により発見、と古文書にあります。さらに古く4世紀の頃、神功皇后が朝鮮征伐凱旋の時、諏訪大明神が夢枕に立って、毒矢などの傷兵にこの薬湯を飲ませよと告げた、との記述も見えます。さらにさかのぼって、日本神話の中で大国主の神と一緒に国づくりで活躍する小人の神・少名毘古那神(スクナヒコナ神)がこの薬湯を発見したとの言い伝えもあって、由来は神秘に包まれています。
「信玄の薬湯」の名は戦国時代以後。雄将・武田信玄が上杉謙信との合戦のため八ヶ岳を巻いてこの奥蓼科を通る「信玄の棒道」を建設、この湯の薬効に驚き傷兵たちを湯治させました。それ以来「信玄の薬湯」と呼ばれるようになりました。この薬湯の湯の花と湯塩(湯気が結晶したもの)は、古文書にも霊薬として多く記され、とても古くから採取されていたようです。江戸時代中頃からは、湯を樽につめて薬用としての販売も始まり、明治始めの頃 から非常に盛んになって、それかが昭和10年頃まで続きました。
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